昨日、お客様と話してて、
あらやだ。って気づいたことがあったのよ。
二十歳の頃ね、3〜4年結婚式場で働いてたの。
キッカケは、姉ちゃんの結婚式にまつわるエトセトラで異様に感動したからだった。
よかったねぇよかったねぇ🥺🥺
となり、本当は泣きたかった。
だけど、うちの両親、アホだった。
冬の北海道を甘く見過ぎよ。
たしか、19の冬、私は道南に住んでいて単身横浜の会場に向かって無事ついた。
札幌は大雪で飛行機が飛ばなくて
結婚式当日朝に行く予定だった両親は、参列できなかった。
もうさ、妹と兄貴はなんか恥ずかしかった。
なんで冬に北海道から来るのに
いざって日に前乗りしないかね。って。
無駄にペコペコ頭を下げていた。
そんな調子で結婚式自体は楽しめなかったんだけど、
旦那さんのお友達が作ってくれたVTRで泣いたり、いい式だった。
でね、後日よ。
結婚式場の人の計らいで、チャペルを貸切にして家族写真を撮らせてくれたの。
その心意気に惚れてさ、
看護学校を辞めてボロボロだった私はなんかしよう。となった時にアルバイト情報誌で結婚式場のバイト求人を見つけて働くことにした。
働いてみて楽しかった。
はじめましての、見ず知らずの新郎新婦のプロフィールVTRとか新婦の手紙で毎回泣いてた。
我ながら、感受性豊かな心のキレイな若者だったわ😂
でね、
働いたらなんでも天職にしてしまうんだと思うわけ。
仕事するってこと自体が好きでさ。
披露宴の進行担当スタッフだったから、両家ご両親とか余興をする人を待機場所に連れて行ったり、
フレンチ料理がタイムスケジュール通りにお客様に食べてもらうように提供して。
なんてことをしてたんだよね。
そして、1番好きだった仕事が、
ブライダルフェアに来たこれから式場を決める新婚さんに
ここの式場でやった式はこんな風に素敵でしたよ🥰って、カクテルや食事を出しながら小話してアピールすることだった。
提案した内容にキラキラした目で賛同されることが楽しかった。
後々よく考えたら、ここで営業、してたんだよね。
んで、この人たちの結婚式のタイムテーブルを作りたいな。ってなったの。
要は、進行側から、作成側になりたかった。
幸せな1日を作りたかった。
だけどバイト入社で営業に部署変えできなかったから諦めちゃった。
若くてキレイじゃないといずれ、働けなくなるって思ってたのもあったかな。
私が営業やりたい!!!って吠えてるのって、起源はここだったんだなぁ。
その場が幸せになる提案ならいくらでも出来る気がする。
そんな、欲望がずっと残ってたんだと思う。
マッサージも同じ。
明日のあなたをちょっと身軽でポジティブに過ごせますように。
そういう仕事。
誰かの幸せの側にいたいってだけだった。
それを作れる自分として、隣にいたい。
ただ、それだけ。
でもね、それって、ボランティアだとしんどくなっちゃうのよ。
だから、単価と収益は大事。
そんなリアリストまで育った。
20年って案外振り返ってみればあっという間だね。
違う私になりたいような気がしてた。
でも求めているものは一貫してた。
幸せのひとつを渡したい。
それしか、私に生み出せるものはなかったって話。
それしか、売りたいものがなかったって話。
次は、どの種類の幸せにしよっかなーーー。
それがわからんな。
思考の途中経過をこうして綴りながら日々考える。
焦らず、ゆっくり、
幸せを煮詰めていく。
そのうち、【ジャムみたいに甘い幸せ】が出来たらいいな。
っていう、ひとりごと。
まぁ、通過点の思考なのでまたウロウロオロオロすると思うけど、あしからず。
ご清聴ありがとうございやした〜〜〜(=゚ω゚)ノ(=゚ω゚)ノ(=゚ω゚)ノ


働いたら何でも転職にしちゃうっての、分かる気がします。
あとね、営業はなんだかんだ自分を売り込む感じなので、私も苦じゃないなーと楽しんでやっていました。
何が言いたいかというと、さるとらさんの向かう方向ややりたい事が定まればまた天職でしょうね。
そして人の為という思想や世界観的なベースがあるのでブレづらいだろうと感じました✨
いつも有難う御座いますm(_ _)m 。
徐々に、でも確かに、自分が感じるものを集めながら、焦らずに方向性を定めていく過程、良いですなぁ〜😚
ヒゲもそらそろ、考え始めねば🥸