「いい人」辞めました。
私はずっと、「いい人」になりたかった。
誰かが嫌な思いをすれば怒ったし、
空気が重くなれば整えようとしたし、
傷ついている人がいれば、そっと隣に立った。
だから、"人のため"に動いていると思ってた。
でも最近、
少し違ったのかもしれないと気づいた。
私が反応していたのは、
「誰かが傷ついている」ことより先に、
「場の調和が乱れている」ことだったかもしれない。
感情をあふれさせる人を見ると、
「こっちまで飲まれる」と苦しくなった。
ハラスメントをする人を見ると、
「あの人を守りたい」と同じくらい、
「またフォローするのは私か」
という怒りがあった。
つまり私は、 優しさとして動きながら、
同時に、
自分を守っていた。
場のノイズから。
感情の波から。
空気に飲み込まれる感覚から。
だから私の優しさは、 純粋な他者愛100%ではなかった。
自己防衛も、
空間への執着も、ちゃんと混ざっていた。
それを見つけたとき、
「うわ、エゴだったな」と思った。
でも同時に、 すこしだけ、
息ができた気がした。
私は聖人になりたかったわけじゃない。
ただ、 安心できる空気の中で生きたかっただけで、
それは、わりと正直な望みだと思う。
多分、明日からも私の行動はこれまでと変わらない。
だけど、
私が優しくしたいから、するのだ。
誰かのためじゃない、
空気のためじゃない、
そう思うと
前に進めるんだと思う。


本質的に大切なことを、自分自身の感覚を活かして場の調律する✨場を整えたい…は、良い意味で、合理的なんだよね🫶♒︎
ちゃんと特性の視点から、俯瞰した言語化
とても上手です✨👏🥰
さるとらさん
そうですよー!
まずご自身を大切にされていいと思います✨
自分が満たされたら、それが溢れて他の人にも伝わると思うのです🍾🥂